2008-09

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生きる荒野

火を熾す (柴田元幸翻訳叢書) (SWITCH LIBRARY 柴田元幸翻訳叢書)火を熾す (柴田元幸翻訳叢書) (SWITCH LIBRARY 柴田元幸翻訳叢書)
(2008/09/10)
ジャック・ロンドン/柴田元幸 訳

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出張の帰り、時間があったので新宿紀伊国屋に立ち寄った。新刊コーナーで平積みになっていたのを手に取り、ぴんと来たので購入する。

弱冠40歳で亡くなったジャック・ロンドンの短編集。代表作とされる『野生の呼び声』は昔読んだ記憶があるのだが、内容は忘れている。この人の経歴や代表作については、だから、語ることができない。しかし、それは幸いにも、新鮮な感動をもたらしてくれた。

帰りの列車の中で最初の2編を読了。夢中だった。表題作『火を熾す』と、次の『メキシコ人』まで読んで、後が続かなかった。終着まで時間があったのだが、次の『水の子』を少し読んだところで、これは時間がゆっくりと流れる中で読みたい、と思ったのだ。時間つぶしに読める本ではない。いや、最初の2作は夢中になって読んだのだからそういうことでもなさそうだ。1作読むごとに、その読後感を味わいたくなったのだろう。時間をかけて、何度も思い返す。

訳者後書きにも書かれていたが、作風は剛球ストレート。楽しんで作者とキャッチボールするような話ではない。ジャック・ロンドンが放つ小説の「力」を受け止めなくてはならない。それには準備がいる。

凍てついた極寒のユーコン川。その白い荒野を歩く主人公を描いた『火を熾す』は、おそらくこれから何度もフラッシュバックのように、私の頭をよぎるだろう。降り積もる雪の中、苦労してガソリンストーブに点火しているとき。しんしんとテントに当たる雪の音を聞きながらシュラフにくるまるとき。遠く、タイヤチェーンがリズミカルに音を立てる、凍てついた夜。あらゆる「寒さ」のなかで、情景が甦るだろう。

『メキシコ人』の暗い目をした青年。折に触れ、その憎悪を想い出すだろう。爆弾テロの犠牲者、圧政の中にある人たち。疲れた表情で銃を下げ歩く兵士。それらの光景を、あの暗い目と、醒めきった意識のはてに見えてくる狂気のような正気と生気を。

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旅の終わり

パワー (西のはての年代記 3)パワー (西のはての年代記 3)
(2008/08/23)
アーシュラ・K・ル=グウィン

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(このさきはシリーズのあらすじ以上の内容に触れています)



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オンサイト チャンス

いつも行っている人工壁にいくつか新しいルートが設定された。まだ時間がなくて登ってはいないが、こういうときはオンサイトのチャンス。オンサイトとは、初めて見たルートを、直前の下見だけでリードクライミングすること。トップロープでは意味がない。これは、そのルートを「初めて見て初めてリードで登る」時だけに許されるチャンスだ。

フリークライミングにとってオンサイトは最も価値のある登り方とされる。次に価値があるとされるのがレッドポイント。下見を十分にして初登で登れなくとも、何回かチャレンジして完登するときの呼称だ。RPコースはいつかは達成できるチャレンジだが、オンサイトは一期一会的な出来事だ。

クライミングの楽しみは幾つもあるが、リードで登るという緊張感ほど面白いものはない。終了点につくまで、特別な感覚を味わえる。心拍数が上がる緊張感と、それが高じて口がからからになる恐怖に近い感覚がそれだ。そういう感覚を越えていくのがモチベーションなのだが、クライムの数分の中で、それが枯渇しかかり、また絞り出すようにモチベーションを高めるという心理的作業は、ちょっとほかでは味わえない。

撤退するか前へ行くか。成功すればオンサイトという勲章が待っている。それを諦めるかどうか。完全に一人の世界で、岩と己がせめぎ合いつつ、登り続けるというのは、何物にも代え難い経験だろう。

ネットのものがたり

老人と宇宙 (ハヤカワ文庫 SF ス 17-1)老人と宇宙 (ハヤカワ文庫 SF ス 17-1)
(2007/02)
ジョン・スコルジー

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解説を読むと、この人は映画評論などを手がけていて、いわゆるブロガーでもあったそうだ。そしてこの作品を自ブログで集中連載したらしい。事前のマーケティングも周到に行い、売るつもりで書いたら実際に売れた。すごい。

ネタバレしないように冒頭部分に触れると、恒星間旅行が現実になり、コロニー連合と呼ばれる太陽系外惑星への植民地が形成された未来。コロニー防衛軍(CDF)はコロニーを地球外生命体の侵攻から守る役割を果たしている。その防衛軍に入れるのは75歳以上の老人のみ。正式に登録されると、地球では法律上「死亡した」と見なされる。彼らはその老体に鞭を打って、CDFへと旅立つ。その旅の途中で、CDFの圧倒的な科学力(地球の技術では到底達成できないそれら)を見せつけられ、なぜ75歳以上の人間が必要なのか、彼らが戦士として活躍するためにどのような技術が使われるのかなど、ディテールが明らかになってゆく。

日本語訳のせいかもしれないが、センテンスが短い。テンポ良く進むと言えばそうなのだけれどコッテリとした描写があまりない。このあたりは、元々がブログで連載として読まれることを意識したから、そのエントリ単位で一読できるような作り方なのかなぁとも思った。

この点一時話題になったケータイ小説と、このような作品の、近似した部分なのかも知れない。ケータイ小説の場合は、展開が唐突であったり無理があったりして、読んでみたら「なんだこれは」という批判も多かったが、ネットにおける物語表現という点から見ると、それほど変なことではないように思える。なぜなら、それはある種の「語り」として機能するからだ。繰り返しがあり、飛躍があり、統一感がないように見えるが、実はそれが「語りの面白さ」だとわかれば。

この作品の面白さは、そういう語りが、ちりばめられる(短縮された)情景描写と並行しながら、どんどん進んでいくところにある。

ブログの面白さの一面が、ある種の「語り」構造にあるというのは、まちがいないだろう。ブロガーの、リアルな生活やその時のオピニオンとしてか、構想された物語のものか、という違いがあるだけなのかもしれない。

だからか、この本を文庫本として手にとって読み始めたとき、ある種のいらつきを感じた。読むテンポと展開が、どうも合わない。物語世界への理解と傾倒にいたるストーリーテリングの発展が、私にとっては、もたつきを感じた。印刷媒体を前提とした技法としての表現には足りず、かといって奔放な語り口でもない。

もっとぎゅっと、濃縮した感があれば、読むテンポと合ったのかも知れない。しかしこれも、そんなに構えずに、PCのまえでのんびりとエントリを流し読むような感覚だったら、そんなに違和感がないのかも知れない。

ネットで小説を書く、ブログで物語を書く・読むという行為と、(PC環境+テキストエディタが主流とはいえ)印刷媒体に書く意識というのは、やはりどこかちがうんだろうなぁと感じた。

悲しみの扉

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