2017-07

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にんげん Ver.1.04

人に向かわず天に向かえ (小学館101新書 18) (小学館101新書)人に向かわず天に向かえ (小学館101新書 18) (小学館101新書)
(2009/02/03)
篠浦 伸禎

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不思議だと思うのは、今の世の中と、例えば戦中戦後の貧困な時代(私は生まれてもいないけど)を比べてみて、もしくは戦国時代のそれと比して。生きることに難しく死ぬことに容易いという点でかの時代には命の軽さと死の身近さは格段とあったろうということ。

なのに今、私たちはおそらくいつの時代にも劣らず、生きることを容易いことだとは思っていないし、死は身近なものだと思っている。

キレる人、鬱の激増、衝動的な殺人、自殺。人間が持つストレス耐性や自制心や良識と言った、私たちが社会生活を営む上で求められる心のバランス、その心の死とも言える状態は、私たちの周りに立ちこめている。それは、心の死であると同時に、動物的な生存本能がむき出しになった状態でもある。己の身を守るため、状況により、心を閉ざし、状況によっては、発作的に牙をむく。目の前の快楽にとびつき、自己保身のための嘘をつく。

それが何故なのか。この本では、それは人間を人間たらしめる大脳の機能的問題であるとする。なんらかの環境要因により、進化に伴う構造背景にある脳における機能分担のバランス不全が、動物的な反応を引き起こしているというのだ。

簡単に言えば、情動を司り多義的価値観を許容する「右脳」と、論理を司り一義的価値観を許容する「左脳」、そして本能的な生存欲を駆り立てる「動物脳」という地層的かつ進化論的構成の、何らかの原因によるバランス崩壊が、個人としての不安を招き、ひいてはそれが鬱や自殺、統合失調と結びつくのだと言うことらしい(あ、簡単に言ってないですね)。

ここまでは大脳の科学的な解説であるが、本書のメインテーマは、この先にある。

本書には「人間学」という言葉が出てくる。人間学とは、人間とは何であり人間はいかに生きていくのかという哲学的な考察を通しての人間理解への試みである。古来から、論語に代表される中国古典があったが、それをその時代に置き換えて読み、その精神を実践して行こうとする思想である。

人間学は中国だけのものではない。ギリシャ・ローマ時代の箴言もそうだし、スマイルズ、カーネギー、バーク、トクヴィルなどの啓蒙家、思想家もいる。経営の神様と呼ばれた松下幸之助も人間学を説いた。本書では神渡良平氏の著書「安岡正篤 人間学」を例に取っている。

心を病む患者、例えば鬱の人に、「人間学」の本を渡すと、それを読み、それにより鬱症状が改善されるという傾向に、著者は気づいた。それが何故なのか。その理由を大脳の機能に依拠して解明しようとしたのが、本書である。

その理由の真相は「人間学」の背景にある古典の知恵の効能に繋がる。苦しい時代を、極度のストレスを抱えながら生き抜いてきた先達の、苦渋から絞り出されたような人間理解と、その苦しい中にありいかに人間として生きていくのかという思想。思想という言葉が重ければ、生きていく知恵。これらを見いだしたとき、鬱の人の心がほどけてゆく。それは大脳の機能にも反映されてゆく。右脳と左脳の血流量、酸素飽和濃度にその変化がデータとして表れる。

本書では、その変化のキーワードを「公(おおやけ)」と「志(こころざし)」として提示する。



私たちの個人生活ではぴんと来ないかも知れない。公と志の具体例を挙げてみよう。

世に、経営者ほどストレスのかかる仕事はないとも言われる。「羽振りの良い社長さん」のイメージとは裏腹に、借金返済に悩み、売上に悩み、銀行からの融資条件に悩み、社員に悩み、取引先に悩み、景気に悩み、ライバルに悩み、ああ、もうどれだけ悩んで良いのやら、というほど悩みは多い。

社長業は、失敗すれば無一文である。事業の借金に個人資産を担保に入れるから、借金が返せなくなれば悲惨だ。債権者の取り立て、従業員の給与保証協議など胃に穴が開くような辛酸が待っている。

そのような、板子一枚下は地獄かも知れない企業において、社長の生存意欲を支えるのは何であろうか。私利私欲という欲もあるかも知れないが、多くの場合、経営理念に「公(おおやけ)」を強く意識して行くことである。それを具現化させる「志(こころざし)」を立てる事である。

順調なときは黙っていても儲かるのだから関係ないかも知れない。しかし、いざ不況・減収減益となったとき、つまり、会社として極度のストレスを被る状態が続いたときにどうなるだろうか。

人事を尽くして天命を待つという言葉があるが、社長業は「公のために人事を尽くして天に向かう」という姿勢が求められる。そして事実、厳しい時代において、そういう経営理念を打ち立てて業績回復、業績維持を図っている会社は多い。

逆に、そういう理念を持てなかったらどうなるか。結果として、偽装表示や手抜きや場当たり的な値引きなど、「動物的」反応で身を守ろうとする。

そうならないために、志を求めて経営する人間は、知識体系の経済学を知ることと同時に、人間学であるところの経営の知恵を求めて、人間学と称される古典の森に踏み込む時間を割いている。

「私企業」と「個人」も、「私(わたくし)」という点では同じである。そして、「公」と「志」という点も非常に類似している。

夜も眠れないほどの悩み・苦しみを抱え、その辛苦が脳の活動を低下させ、人間の、人間として生きていく上での必須機能である大脳新皮質つまり「右脳」と「左脳」のバランスを狂わせ、大脳辺縁系つまり「動物脳」としての本能のみに突き動かされたとき、人は人であることを止めるのかも知れない。

人が人であるために、何をなせばよいのか。

「公」に目を向けることである。そして「志」をもつことである。

そのための指針が、本書にはあると思う。



論語に始まり、松下幸之助まで。優れた先達は人に向かわず、天に向かって行動した。本書に言及されている安岡正篤(やすおかまさひろ)の言葉に、こうある。

「われわれの命をよく運命たらしめるか、宿命に堕させしむるかということは、その人の学問修養次第である。これが命を知る<知命>、命を立てる<立命>のゆえんである。人間は学問修養しないと、宿命論的存在、つまり動物的、機械的存在になってしまう。よく学問を修養すると、自分で自分の運命を作ってゆくことができる」(安岡正篤 人間学)

ここでの学問は西洋の学問(知識)のみならず東洋の学問(知恵)としている。それは、左脳(論理と一神教)と対置される右脳(情緒と多神教)の対比とも通底する。



「人の心はその人を作りもし、また、壊しもする。」

● COMMENT FORM ●

はじめまして。
とてもいい本をご紹介いただきましてありがとうございます。
昨日アマゾンから届いたばかりですが、最初の方を読んだところで「これいいわ~」とムスメが言っておりました。
いつも自分のために本を発注すると、ムスメが先に読ませて、と言って持っていってしまいまして。実は胃に穴が開いた夫や息子にも読んで欲しかったりしています。

コメントありがとうございます。
最初書店で手に取ったとき、ありきたりのハウツー本かなと言う印象がありましたが、脳外科の記述が面白そうなので購入しました。
読んでみると、今までになかった切り口と奥深さを感じます。
アマゾンの紹介データはその意味で少し軽い印象で損をしているかなと思えます。
ともあれ、このような個人的な感想でもお役に立てれば幸いです。


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