2017-11

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失敗する可能性があるものは必ず失敗する、のか?

 「マーフィーの法則」というやつですが、これは「ああ、そういうことってあるある」というネタとして面白がられるものですからこれを真面目に信じるひとはいないでしょう。

 しかし、おなじ「法則」という言葉がついていることで、マーフィーの法則のようにネタにならず、真面目に信じられてしまっているのが、「鏡の法則」なんですね。

 日常生活のなかで、「偶然とは思えない偶然の一致」はよくあることです。たとえば、ふとある人のことを考えていたら次の日偶然その人に出会うとか、競馬でふとある連番が頭をよぎりそれで買ったら思わぬ配当がついたとか。

 これは、「偶然」です。それ以上意味のあることではありません。

 しかしそこに「意味」「規則性」「普遍的事実」を見出そうとするのが私たちです。そのために使われる思考法が「帰納」という考え方。

 帰納推論の定義は「観察された限られた個数の事例から一般的な命題や法則を導きだす推論形式」ということです。

 ようするに、複数の似たような出来事があれば、それをもとに「これはこういうことが背景にあるからこうなるのだ」と考える方式です。

 卑近な例をあげれば、通勤途中でよく会う異性がいるとして、1回や2回眼が合うだけならなんてことはないが3回目ともなると「こちらに気があるんじゃないか?」と思うことがあるでしょう。

 こういう形で異性の心を推し量ることもある意味で「帰納推論」と言えるのですが、これが「正しいかどうか」はわかりません。事実としてあるのは「3回目が合った」ということだけです。

 この「事実」をもって「異性の心の真実」がわかるでしょうか?

 もしかしたら実際に好意を持っているかもしれないし、そうでないかもしれない。わからないのです。もしそれ以上わかろうとするなら、声をかけるなどの行動を取る必要があります。

 そういうことをせず、目があったことで得られる推論結果だけをもとに「好意を持っている」と思い込んだら、下手をするとストーカーになりかねません。

 非常に大雑把な例を出してしまいましたが、帰納推論には複数の観察例からある法則を引き出せるという利点はあるけれどその法則が正しいかどうかまで言い切ることはできないという危うさがあります。

 マーフィーの法則はおもに技術畑の人たちから始まったものですから、帰納推論の危なっかしさを織り込んだ上で「法則」を楽しんでいる余裕があります。

 マーフィーの法則は偶然と思われる出来事から導かれやすい帰納推論の過程ではまるトラップをあえてジョークとして面白がっているのです。

 一般的に「法則」と名のつくものは「客観的に正しいと確立されている」という意味合いが含まれますが、マーフィーの法則のように「ジョーク」として用いられる場合もありますし、「もっともらしいことを権威付けるため」に「法則」と言う言葉を持ち出すことも多いのです。

 単なる「もっともらしさ」以上に、帰納推論から得られた法則を確かなものにするためには、さらにそれを正しいと補強する何らかの手段が必要になります。

 実はここが難しいことかもしれません。

 なぜって、先ほどの異性の例ですと「目があった回数」だけなら自分だけがかかわることですが、それ以上に確証を得ようと思ったら、相手に対して何らかの行動を起こさなくてはなりません。その結果が自分の望みどおりのものとは限らない…。

 帰納推論にはそういうリスクがついて回ると言うことです。

 そのリスクを回避したかったら、確証を得ずに淡い可能性のまま心の中にしまっておいたほうがいいかもしれないですね。

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