2017-05

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坂東氏の意図的虐待。そしてメタファー。

 子猫殺しについていくつかエントリしてきましたが、なるべく一般的な考え方のみに焦点を当てていました。ここでは坂東氏のエッセイとそれに対する世間の反応を考えたいと思います。

 タヒチはフランス領で、フランス刑法が適用されるらしいのですが、その中の動物虐待に関する項目によると、罰金刑や禁固刑が用意されているようです。

「子猫殺し」にはフランス刑法「art.R655-1」が適用されるという。これには、「むやみに、飼っているあるいは管理している動物を意志を持って殺害すると、762.25?1,524.5ユーロの罰金(再犯の場合は3,049ユーロまで)が課される」とある。「むやみに(必要なしに)」が該当すれば、あきらかに「違法」だ。また崖から突き落とす行為が「残虐行為」に該当すれば、「禁固2年と30,000ユーロの罰金」が該当し、さらに罪は重くなる。

http://www.j-cast.com/



 だからといって即「法律違反。ターイホ!」となるかと言えば、そんなことはない。予想通りというか、感情的な反発が著しい世の中の動物好きの人たちからすれば「許せない」となるのは当然でしょうが、実際にそれが適用されるケースはほとんど無いようです。

 これが、「犬が人を咬んだ」とかになると「傷害」というケースで飼育者の責任になります。これで挙げられたひとは何人もいる。また、最近のケースですと動物繁殖業者が300匹の犬を不衛生な放置状態にしていた軽井沢の事例では、動物愛護に関係する法律ではなく「薬事法違反」でまず警察が動きました。動物保護はその後の付け足し。

 動物虐待ということになると、世論は「かわいそうだからやめさせて」という方向に行きますが、実際に法的処分を行うことはむずかしいようです。

 ジョークに「犬が人を咬んでもニュースにならないが、人が犬を咬んだらニュースになる」というものがあります。しかし法律的には逆ですね。人を咬んだ犬の飼い主は処罰されるが犬を咬んだ人は「おかわいそうなひと」として気持ち悪がられるだけ。

 なぜだろうと考えるに、おそらく動物「虐待」というのは多分に「心の問題」をはらんでいるからでしょう。「虐待と思われる」あらゆるケースに於いて厳格に「刑事罰」を適用しようとしたら、国家が国民の心に立ち入ることになってしまう。これはまずい。「犬公方・猫公方」の眼を伺いつつ暮らすおぞましい世界になる。

 それに似たようなのが「人権擁護法案」だと思うのですが、それはさておき。

 ですから、社会を揺るがすような重大な事件とかでない限り、「動物虐待者」が犯罪者として挙げられることは無いのでしょう。もしくはほかの点から動く(先ほどの薬事法違反など)とかしかできない。

 坂東氏の場合も(タヒチだろうがどこだろうが)実際に刑事罰を受けるかどうかはとっても疑問。気持ちとしては許せなくてもね。

 おそらくいくら動物愛護団体が騒ごうとも、猫好きの人が坂東氏を非難しようとも、それが「関わり合いたくない」とか「かわいそうだからやめさせろ」みたいなものである限り、屁の突っ張りにもならない。もちろん、いろんなブログで行われている議論もはっきり言って無意味に近いのです(ここもそうか?)。

 結局、虐待を行っているであろうひとを非難してもだめなのです。行為が潜行し陰湿化する可能性がきわめて高い。ましてや有名人という立場でエッセイを大メディアに載せている人物が確信的に告白した行為など、端から泣こうが喚こうが殺せと叫ぼうが、その非難には何の意味もない。

まぁ、世のサイコパ(ry いや、一部好事家がその著書を喜んで買うくらいで。

 もし「動物虐待に当たる」として刑事罰を科すなら、淡々と話を進めればいい。しかし、もしそうなったとしてもおそらく繰り返すでしょう。坂東氏の身辺から動物を取り上げない限り。

 現実には、それは無理かもしれない。アメリカですと、たとえばコロラド州法で虐待を防止する(強力な法律に裏付けられた)ピースオフィサーがいます。動物虐待に当たると思われる場合、とりあえず飼い主から動物を引き離して保護できる強力な権限があるということです。また、虐待を行う側に対して心のケアをする制度も整っています。(参考

 そういう制度もなく、あったとしても形ばかりで実効性がなければ、それは絵に描いた餅です。おそらく日本ではそうでしょう。しかし、動物虐待に対する心理的抵抗はきわめて強い。いってみれば、「虐待」という言葉が持つ陰湿な響きのみが行き渡っているなかで、坂東氏はこの社会に潜むメタファー(隠喩)としての虐待を露出させたかったのかもしれません。

 そして世の中は坂東氏の意図した如くかどうか分からないにしても、イメージに引きずられるように「虐待はいかん」の大合唱になりました。

  さてさて、虐待をやめさせるのにはどうすればいいかというと、結局は「対話」しかないと思うのです。それもプロフェッショナルな対話。この点は拙ブログのアウトカム?プロフェッショナルの態度?そこに対話はあるのかい?をお読みいただければ。

 プロフェッショナルな対話というのは、非常にむずかしいでしょう。経験と知識と相手に受け入れられる人格と忍耐と、それから冷静な熱意が必要でしょう。

 その点において、民間の動物愛護団体や個人の動物愛好家がそれに適するとは、とうてい思えません。もともと動物よりに考える人たちが多いでしょうから、虐待をする側の心理に土足で踏み込む可能性があります。

 私は個人的に、オタクな愛犬家・愛猫家が嫌いです。

 でもそういうのに限って声を大きく上げてさわぎたてる。

 この坂東騒動で大きく声を上げた動物愛好家の方たちの一部は、もっと冷静であるべきだったと思いますね。抗議はすべきでしょうが、熱気のあるぶん逆効果だったと思える。

 坂東氏のコラムは、繰り返しになりますが、今の世の中にある「虐待的出来事への批判=生命の豊饒生を失いつつ偽善的に命を尊ぶ感覚」への嫌悪感から生起した「メタファーとしての虐待を示す試み」とでも呼ぶべき意図が隠されていたのではないかとも思います。結果として虐待「行為」だけが騒がれ、それが動物愛護家への意図せぬ試金石になった気が。

 しかし。私は仮に意図がそれであったにせよ坂東氏の考え方には偽善と独善しか感じられなかったですし、あのコラム自体はスーザン・ソンタグに及ぶべくもない駄作であると感じているのですがね。

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