2017-10

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不可逆的避妊と猫殺し

 コメントで少し書いたのですが、不十分だと思い、エントリします。

 坂東氏の行為から一般的な話題として「不可逆的避妊と猫殺しとどう違うのか」という議論があるようなのですが、「子を作らない・増やさない」という点についていえば、私としては本質的に違いはない、と考えます。

 なぜなら、猫が本来自然のものであるとするなら、人間の干渉を全く行わなければよいのです。産もうがどうしようが、私たちの関わることではない。

 しかし、実際にペットとして猫を飼う以上、「必ず干渉しなくてはならない」のです。現実には子猫を産みますし、それが増えることで私たちの暮らしになにがしかの実害が出る可能性があるからです。

 その実害を発生させないように、具体的にいえば身近で猫が増えすぎないように、何らかの「制限」をかけざるを得ないのが現実でしょう。

 その現実をふまえたとき、繁殖制限のために「避妊」と「子猫殺し」とで本質的にどちらが良いと言えるかどうか。

 この点で、私は「現在の日本では避妊手術の方が良いという大まかな合意が出来ている」と繰り返し述べてきました。理由としてはその行為に関わらざるを得ない人たちの罪悪感に依るだろうと言うことも書きました。

 さて、ここで発想を変えて、子猫殺しよりも避妊よりも良い方法があるでしょうか。たとえば経口避妊薬とか、インプラント剤(皮下に発情抑制剤入りのシリコンを埋め込んで徐放させる薬だそうです)を使うとか、さらにはワクチンのように注射で発情を止める(卵巣機能を破壊する方法?)とか。

 おそらく、近い将来、もっと「猫に負担をかけない方法」が開発されれば、今の避妊(手術)がそれにその方法が今の避妊手術に取って代わるでしょう。しかし、それで全ての問題が片付くでしょうか。

 「猫が猫本来の生活をする」ことからすれば、全てが人間の干渉であり、猫本来の生を阻害する行為としては変わりがないのではないでしょうか。

 ここで言いたいのは、「子猫殺し」も「避妊手術」も、将来開発されるであろうあらゆる「繁殖制限処置」もすべて、ある意味で「猫の自然(交尾・繁殖・子孫維持)」に干渉すると言う意味で、「人間側の勝手・都合」なのです。

 こう考えれば、「不可逆的避妊と猫殺しとどう違うのか」と言う議論がそもそも「人間側の感傷」もしくは「「罪悪感」から生まれ出た一方的な議論にすぎないことが分かります。

 (今まで各地で行われてきたであろう)子猫殺しが悪で、避妊が善である。いや、逆である。と言う話は実は(繁殖制限をしなくてはならない人々のその時代、実情、技術に関わる)「程度の問題」であり、それ故二元論的な話はそもそも意味をなさないのです。

 私はその「程度」がどこまで社会的に許容されるのか、どこで線引きをするのか、と言う点に興味があります。

 そこで今の話題として出てくるのが、「子猫を殺すことのなかにある残虐性」でしょう。しかし、これもまた「生命倫理」などで括れる話ではありません。

 その行為の裡に潜む「心」に目を向けなければ、本質は見えてこないと思っています。

 たとえば、生まれた子猫を川に流す行為。これが「残虐であるかどうか」はその地域、時代、その行為を行う「人たち」の歴史的背景を考えなければなりません。

 一方で、現在意図的に子猫を捨てている人もいるわけです。

 この人と、仕方なく川に流す人の差は何なのだろうかというところに、目を向けたほうが良いと考えていますし、そこにこそ、何らかの答えというべきものがあると考えています。

 たとえば、こういう問いはどうでしょう。

 「坂東氏が、避妊手術という手段によらず全く新しい(今のところ架空の)安全な別の方法で猫の繁殖制限が出来るといわれたら、子猫殺しをやめるのか?」

 「もしやめるとするなら、そのとき、避妊手術とその(架空の)方法とで、本質的な違いが何であると考えるのか?」

 この問いに、答えられるでしょうか。

TB:子猫殺しと「きっこのブログ」

● COMMENT FORM ●

子猫を殺すことへの考え その3 でコメントしたMc.KE39I です。
真摯でご丁寧なお返事ありがとうございます。
新しくエントリーされ、お考えを発展されているのを読み同感するところがたくさんあってよろこんでいます。
特に
>(今まで各地で行われてきたであろう)子猫殺しが悪で、避妊が善である。いや、逆である。と言う話は実は(繁殖制限をしなくてはならない人々のその時代、実情、技術に関わる)「程度の問題」であり、それ故二元論的な話はそもそも意味をなさないのです。

というご指摘は鋭く、的を射抜いています。
この一連の「子猫殺し騒動」の議論中、白眉と言っていいと思います。

あと
>「坂東氏が、避妊手術という手段によらず全く新しい(今のところ架空の)安全な別の方法で猫の繁殖制限が出来るといわれたら、子猫殺しをやめるのか?」

ですが、(たぶん)やめないと思います。
私は坂東氏ではないので、いろいろ憶測して何かを代弁するように書くのは彼女に対して失礼だと思うのでこれ以上書きませんが、彼女の小説で、日本や中世ヨーロッパの土俗的な風習や感覚が圧倒的なイメージで描写されているのを読むと彼女なりの意図があるように思えてなりません。エッセイNo.7の結語はたしかに舌足らずで、勇み足ですね。なんとかならないものだろうか。

 haineko2003さん、こんにちは。

 私も坂東氏はおそらく子猫殺しをやめないだろうと思います。それに関しては(前回コメントで書いたように)「呪詛・供犠」という視点で改めてエントリしようと思っています。ちょっと時間が無くてまとめられていませんが、ある方のブログに少しコメントさせていただきました。参考までにエントリを下記に貼ります。

http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/searchdiary?word=%2a%5b%a4%a4%a4%ce%a4%c1%5d

>エッセイNo.7の結語はたしかに舌足らずで、勇み足ですね。

 同意です。そういう印象が否めません。しかし、坂東氏はプロの物書きですから、書いた文章に対して遠慮無く批判を浴びせて良いと思います。それが坂東氏の内面を忖度するものであっても、かまわないと思います。これが個人のブログとかでしたらそこまでやるのはまずいでしょうけれど。

(毎日新聞) - 9月22日15時45分更新
もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
このような記事は載せるべきではないです。子供がいる人なら「もし私が不妊手術をされるのと、自分の子供を殺されるのと、どちらか選択するならば、迷わず不妊手術を選びます。」坂東さんは自分に子供がいたら、不妊手術より子供を殺してと言ってるのと同じ、こんな内容は社会的に悪影響、掲載記事をもっと検討すべきです。新聞は週刊誌とおなじではいけない。

 ↑ コメントどうもです。

 「子猫殺し告白:坂東さんを告発の動き…タヒチの管轄政府」の記事からの引用だと思われますが、情報ありがとうございます。

 で、もう坂東氏はどうしようもないですね。自分の子猫虐殺をナチスや断種とからめて語るなど、論外だと思います。あの人は事の本質をクソ人権問題にすり替えようとしているんじゃ無かろうか。これが心配だった(苦笑)

 (はやくイ・チョンス兄のブログが更新されていかないかなと。←独り言)
 


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