2017-09

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国歌は価値中立たりえるか?

このエントリは青龍さまへのお返事です。

 国旗・国歌を価値中立なものにするとはどの様な施策を指すのでしょうか。君が代が天皇の世が続くことを歌い上げるものであり価値中立的なものではない以上、国歌を別の歌に変更するのでもなければ価値中立なものにすることはできません。君が代を国歌としたままで価値中立なものにするのはそもそも不可能だと私は思います。この施策が、君が代を価値中立的なものと見なすということであればまさに「保守」にありがちな自らのイデオロギー性の無自覚といえるのではないでしょうか。
 青龍の雑文Blog はてな別館 「伝統」のイデオロギー性 より



 この点を考えるにあたり、下記のような資料を用意しました。十分ご存知のこととは思いますが、ほかの読者の方の手前、掲示しますのでお許しください。

フランス国歌 La Marseillaise

  いざ進め 祖国の子らよ
栄光の日は やって来た
我らに対し 暴君の
血塗られた軍旗は 掲げられた
血塗られた軍旗は 掲げられた
聞こえるか 戦場で
蠢いているのを 獰猛な兵士どもが
奴らはやってくる 汝らの元に
喉を掻ききるため 汝らの女子供の

武器を取れ 市民らよ
組織せよ 汝らの軍隊を
いざ進もう! いざ進もう!
汚れた血が
我らの田畑を満たすまで

  奴隷と反逆者の集団、謀議を図る王等
  我等がために用意されし鉄の鎖
  同士たるフランス人よ!
  何たる侮辱か! 何をかなさんや!
  敵は我等を古き隷属に貶めんと企めり!

  何と、 我が国を法で縛ろうというのか!
  何と、 金で雇われた傭兵共の集団で
  我等の誇り高き戦士を打ち倒そうというのか!
  我等を屈服せしめるくびきと鎖
  我々の運命を支配せんとす下劣な暴君共よ!

wikipedia
および
世界の国家 フランス共和国
より引用し併記



 これはフランス革命時にある工兵が作ったものとされています。内容は読んでのとおり、革命勢力がアンシャン・レジームを打倒するためのもの。

 フランス革命自体は非常に血なまぐさく、事実、王の処刑、貴族の処刑、地主層の処刑、革命政府に反対する地方都市での大虐殺などなどの内乱(処刑の嵐)に加え、キリスト教教会の焼き討ち、近隣国への侵攻と併合など宗教的・対外的にも暴虐の限りを尽くすものでした。

 フランス革命の詳細な歴史の検討は別の機会に譲るとして、この「革命歌」は、革命後のフランス共和国の歴史の中で一時廃止されましたが復活し、今のフランス共和国(現在は第五共和制)で正式に国歌として採用されています。現在、歌詞が子供にとって残虐すぎるということから国歌変更の案も出ているようですが、実現には至っていません。

 現在のフランス共和国は直接選挙で選ばれる大統領の下、その指名で首相が選ばれ、半大統領制と呼ばれる責任体制が存在します。議会は元老院とフランス国民会議の二院制。政党は保守系、中道、左派がそれぞれ存在しています。

 現在の政治勢力はシラク大統領支持の保守系、国民運動連合が国民会議の過半数を占めています。


* 国民運動連合 - 保守・中道右派
* フランス民主連合 - 中道
* 社会党 - 中道左派・社会民主主義
* フランス共産党
* 国民戦線 極右・移民排斥(議席なし)
wikipedia より引用



 さて、この国歌は、フランス革命賛歌です。この国歌を法律で制定し続けているフランス共和国は、今も革命の嵐が吹き荒れているでしょうか。

 いいえ。見てきたとおり、民主的な政治が行われ、現在は保守系政党が過半数という状況です。

 しかし、その極端な革命イデオロギーメッセージを含むにもかかわらず国歌として行事で演奏され続けている現実があり、それはフランスの象徴として自国・他国に機能しています。

 この一例をとってみても、国歌は「国民を統べる象徴」として機能する一方、その内容のイデオロギー性を問われているわけではありません。

 一般的に、その統べる主体は憲法であり、その憲法の下、法律が制定され、国民は等しく法律の元に保護され、また、法律を遵守する義務があります。その点で国民は法の下に平等であり、天皇とて例外ではありません。「国民」の誰も、例外ではありません。

 今現在の日本が天皇を主体とする国家を形作っているのなら、君が代は天皇のための歌ですが、現実はそうではありません。ですから、君が代を国歌と認めないという「考え」がそのまま国家に対する反逆になることはありえないのではないでしょうか。ですから青龍さんのお考えを誰も罰することはないし、考えを異にする自分とも共存可能なのではないでしょうか。

 問題は(過去にたくさん議論されているように)君が代を国家の象徴として儀礼的に歌うのが「ふさわしい」とされる公立学校でその斉唱に反対する行為です(これはあくまでも象徴としての国歌を歌うべき場ということです)。このイデオロギー的行為は、必要とされる儀礼の中で、あえて反対することで「わざわざ価値中立性を歪めている」行為であると思えるのです。つまり、もともと「国家として国民として」の象徴としての意味しかなかったものにイデオロギーを持ち込んだのは、どちらなのか、という批判です。(日本共産党でさえ、国旗・国歌を消極的にではありますが認めていることや国旗国歌を規定する法律が存在するのはとりあえずおいておきますが。)

 象徴としての天皇は、封建の権力を現在は持ちえていません。しかし、左翼系といわれるマスコミでさえ、たとえば靖国問題においては天皇の発言というものを政治的に利用しました。天皇はそのような権限を行使出来得る立場ではありえないにもかかわらず、です。

 これらは、すべて「イデオロギーを持つ側」が「象徴を利用する」行為です。そしてその利用によって損なわれるのは「法による統治」という理念そのものなのではないでしょうか。

 一部分かつ未熟ですが、お答えといたします。続きはまた。

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