2017-05

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皇室中傷劇 解題

 皇室を中傷する演劇が行われ、批判が相次いでいます。

 当ブログ内関連記事
 週間金曜日のお粗末劇

 ある思想をもつ人たちが企画し上演したものであるのは明白です。いわゆるサヨクと呼ばれる人たちですね。んで、なんでこういう人たちは皇室を批判するんでしょう。

 保守系思想に詳しい人ならもう丸わかりなんですが、起源はフランス革命にさかのぼります。フランス国歌にも歌われた王侯貴族富裕地主層虐殺のあの革命です。

 フランス革命についての詳しい資料はこちらが詳しいです。
 フランス革命 大解剖

 また、フランス革命当時の思想・歴史背景は日本ではあまり知られていません。中にはその発端となるルソーらの思想を軸にフランス革命をものすごく批判的に突っ込んでいる人も少数います。このあたりは中川八洋先生の研究が詳しいので、興味のある向きは先生の著作を読んでいただくとして。

 フランス革命により「自由・平等・人権」という概念が出来上がったんですが、それを元に革命を再生産していったのがレーニンであり、スターリンであり、金さんなんです。その傍流としての全体主義体制をひいたヒットラーという人もいました。

 日本の左翼思想もその流れを汲んでいますから、彼らの行動は「人権」を強調し、天皇制など過去の体制を否定(批判じゃなくて否定です)するのは自然な流れだと思うんです。

 とまれ、週間金曜日の劇が(そのお題目はともかく)皇室批判を軸とし、メッセージとして「皇室はなくなるべきだ」と明白に言っているのは決定的です。この事実を押さえるべきです。

 問題は、なんで「皇室」なのかと。金曜日の人たちは「特別な立場にある特権階級だから」といいます。また、いわゆる右翼(極右)の人たちが天皇を奉って軍国主義の旗印とするからイクナイといいます。

 で、国旗国歌にも反対します。価値中立でないからとして。この点に関して私は違うと思うんですが。(詳しくは国歌は価値中立たりえるか?を参照してくださいませ)

 でも、今の日本では、天皇は象徴なんです。こちらをどうぞ。

日本国憲法は、1条において、天皇は日本国と日本国民統合の「象徴」と規定している。天皇は、憲法上において特別に規定される地位についているものの、政治体制としては、国民が主権者(主権在民)である民主制を採用しており、天皇の地位は日本国民の総意に基づくものとされている。日本国憲法においては、天皇の行為は国事行為を行うことに限定されているが、それら国事行為を行うためには内閣の助言と承認を必要としており、実質的な決定権は天皇には存在せず、国政に関する権能を全く有していない。

wikipedia 象徴天皇制 より引用


 日本国憲法により「象徴」として規定され、国政に関与する権能を全く持っていないのです。

 なのに、「天皇はイクナイ」と。

 私の思うに、実は天皇がいけないんじゃない。天皇を敬慕する感情の否定であろうと思うのですね。象徴としてであっても天皇を敬う「こころ」そのものが国民の中にあってはいけない、と。

 そう考えれば、あの劇であそこまで天皇と皇族を「こき下ろす」必然性が見えてきます。

 そうすると、二つのことが見えてきます。

 ひとつは国民の「象徴としての天皇への敬慕」を消し去ろうとする思想統制の態度。

 もうひとつはその態度・思想が「憲法」より上位にあるとする考え。

 ものすごく傲慢です。違いますか?

 私たちは日本国憲法の元、みな等しく思想の自由を保障されています。人権もとりあえず保護されています。しかし、その自由や人権を「天皇への中傷」という行為で徐々に蝕んでいるというのが、金曜日という劇が行っていることに思えますね。

「皇后を中傷する劇? いやいや、そもそも劇の中で皇室なんて一言も言ってませんよ」
と、こう語るのだ。

「あくまで“さる高貴なお方の奥様”としか言ってないんですから。だから皇室の中傷などではありません。
それは受け取る側の見方ですから、こちらがコメントする理由はありませんよ。そんなこと言うなら核議論と同じで、こっちも封殺するな、と言いたいですね」
 週間金曜日のお粗末劇 より再引用


 これは主催者側の弁です。なぜこんなことをいえるか。天皇を否定するならすると言えばいいのに。こう考えると「天皇制反対!」と叫んでいる人たちが素直な人たちに見えてきます。この主催者の意図はもっと陰湿なのでしょう。これは劇を見ている人たちへのメッセージなんですよ。静かに、ゆっくりと、天皇への敬慕の念を破壊せよと。次の手を打てと。

 それに対し、すぎやまこういち氏が指摘します。

その関係者の一人、作曲家のすぎやまこういち氏は、今回のことをこう語る。

「そうですか。まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。
自分に置き換えて考えてみればいい。自分の孫が猿のぬいぐるみにされて、放り投げられたり、病気のことを揶揄されたりしてごらんなさい。人権に対する意識も何もない。
彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」
 週間金曜日のお粗末劇 より再引用



・・・。

 そうなのです。天皇を否定することは天皇を象徴として規定している憲法を凌駕する思想を彼らは持ち、その思想実現のためなら国民の敬慕の情を打ち壊してよいというのですから、これは完全な国家無視、人権無視なんですね。

 「自分らの思想と合わない考えは抹殺する」

 これが、「人権、人権という」人たちの「正体」なのだ、と、すぎやまこういち氏は看破しているんですね。

 そして「人権、人権という」人たちの「人権」は一方で他者の人権をイデオロギー的に否定する分、無制限です。法を超越し、どこまでも広がるものです。「自らの思想に添う形でしか人権を認めない」のです。「いや違う、他者も認めるのだ」というなら、なぜ天皇とそのご家族をあそこまで貶められるでしょうか。天皇とそのご家族とて、「人権、人権という」人たち言うところの人権はあるでしょう。

 「あっちの人は人権によって保護されるが、こっちの人はだめだよ」という人権なら、それは本当の意味での人権ではありません。恣意的に、イデオロギーに基づき一方が一方の人権を認める考えです。

 もっとも、それにより、ソビエト時代も北朝鮮時代もたくさんの人が殺されましたがね。

 さて。

 たびたび「敬慕」という言葉が出てきましたが、バークはこれを「偏見」といっています。理性ではない、私たちが感情としてさまざまな対象に抱くもの。これが国民をまとめるのだ、ということです。バークはこの考えを主軸にフランス革命を強烈に批判しました。そしてその流れはソ連・ナチスを強烈に批判するイギリス首相チャーチルに引き継がれます。

エドマンド・バーク 解説

ウィンストン・チャーチル
 解説

 チェスタトンはそれを「おとぎの国」という表現であらわしています。

チェスタトン 解説

 いずれにせよ、金曜日の劇が目指していたものはそういう私たちが抱く国の基礎となる「敬慕の念」の破壊であると。

 「ターゲット」は私たちであると。

 そういうことなんじゃないでしょうかね。「天皇なんてどうでもいいんじゃね? 関係ないし」とか言ってる状況ではないですね。「品性がないやつらだ」と嘲笑している場合でもないですね。

 品性などどうでもいいんです。ようは「敬慕の念」がなくなれば。これが、何を意味するか。

 政治とかそういうことではなく、日本という国の伝統そのものの破壊です。日本という国が作り上げてきた倫理観や常識や奥ゆかしさや生活態度すべての破壊です。きっと。

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