2017-04

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伝統と理念とイデオロギー

 このエントリは青龍さまのエントリへのお返事のつづきです。

「伝統」というものを選択すること自体も一つの価値判断であり、イデオロギー性を持っているという当たり前の認識が欠けていることです。それゆえ、イデオロギーを持っているのは「伝統」という自分たちの選択に反対する人たちだけだという一方的な論理になるのではないかと思うのです。

「伝統」のイデオロギー性2 青龍の雑文Blog はてな別館



 伝統をイデオロギーとしてしまうという点で間違っていると思いますし、そこからさまざまな齟齬が生まれてくると思います。以下、その点について考えます。

 まず、人は出自により「伝統」を選べません。ややこしい言い方ですが、人は生れ落ちたと同時にその社会の伝統の中に放り込まれます。後天的に、ある伝統と別の伝統を比較して「こちらの伝統を選択する」ということも「理性的には」可能でしょうが、その社会の中に生活する感覚として、または感性として生まれたときから組み込まれる伝統を選ぶことはできません。

 その点を考え、保守思想は「国の成り立ちから現在に至るまで形成されてきたその社会のさまざまな知恵、慣習、階級、統治機構は自然発生的なもので、それは人智を超えた(<少し誤解されるかも)精妙なものであるから、浅薄な人間の理性・知性により作り変えられるものではない」という立場をとります。

 もちろんその過程で過ちやいき過ぎという負の面も出てきますが、それをもってその社会すべてが悪いとはせず、漸進的に改革していこうというのがスタンスとなります。この時点で国家の聖別というような考えも起こりますが、それはまた別として。

 私が以前のエントリで:

人間、理性だけで生きているわけじゃない。感情があり、偏見を持ち、不可思議な領域を信じたがる不合理な生き物なわけです。国、国家、故郷といったものに対し、不合理だけれども自分の生まれ育った場所として愛着を持つわけです。

偏見と理性と感性


 と書いた理由はそこにあります。

 ただし、保守思想が絶対にイデオロギーでないかというと、それも違います。上記立場を踏まえ、その立場を崩そうとする考え方へのカウンター・イデオロギーとして成り立ちえます。しかしそれはその国の保守的に伝統を重んじる生活をしている人々すべてが持つものとしてのイデオロギーというところまで考え方を広げるのは誤りです。

 青龍さんはこう仰っています:

 人間の歴史を見れば、変化のない社会が存在しない以上、その時代ごとで、過去の「伝統」と呼ばれるものの一部を変更し・排除してきたのです。そしてその変更排除は必ずしも全員の合意の下で漸進的に行われてきた訳ではなく、その時代ごとに多数派によって選択されてきたものです。その意味でフランスにおいても王政と教会の権力というアンシャンレジームの下での「伝統」を否定した、自由・平等・博愛の「伝統」というものも存在するのです。


 後者の「伝統」はあいまいであり、誤りです。正確には「思想」です。そしてイデオロギーです。

 イデオロギーの定義を引いて見ます:

 イデオロギーは世界観である。しかしイデオロギーは開かれた世界観であり、対立的な世界観の一部を取り込んでいることがある。イデオロギーは何らかの政治的主張を含み、社会的な利害に動機づけられており、特定の社会集団や社会階級に固有の観念である。にも関わらずイデオロギーは主張を正当化するために自己をしばしば普遍化したりする。またほかのイデオロギーに迎合したり、それを従属させたりする。イデオロギーは極めて政治的である。

 中略

 ある政治理念がイデオロギーであるかそうでないかは多くの場合、理念の内容それ自体よりもその理念が拡大しようとしている立場やその理念の社会状況に対する評価の仕方によって判断される。大抵の政治理念はイデオロギーになりうる。

 中略

イデオロギーは表面上中立的な政治理念を装ってることがあるが、実際は政治理念それ自体とは別個に隠蔽された政治目的を持っていることがある。イデオロギーは政治理念と政治目的が何らかの形において結合したものということができる。中立的な政治理念とイデオロギーはこの限りにおいて明確に区別される。また何がイデオロギーか何がイデオロギーでないかは立場や時代状況により一定ではない。

wikipedia イデオロギー


 こうしてわかるように、政治理念とイデオロギーは似ているようで違います。

 もう一度国歌・国旗の問題を振り返ってみますと、日本の理念である憲法を遵守(法の支配*)し、国歌を「価値中立」としていくことは理念として国民や諸外国との関係でも一応の合意が得られています。また、同時に自由主義・民主主義を認めることも政治理念として並立可能です。

 しかし、イデオロギーとして考えた場合、軍国主義者・保守主義者・社会主義者などなどの立場でその理念を固有の政治目的に沿わせていることがわかります。しかし、固有の伝統を認め、その保持と漸進的な改善(保守)を考えるという点での保守主義は、強烈な拡張的イデオロギーを持ちにくいとも思えますし、青龍さんが仰るような「保守のイデオロギー性」も明確には表に出にくいものでしょう。そして、感性として偏見としての伝統を認めているという意味で、保守的な考えを持つ人がすべてイデオロギーを持つわけではありません。

 この点の明確な区別をしなくてはならないと思えます。

 * すみません。この表記はちょっと違いました。「法の支配」概念はいずれ改めて検討したいと思いますので、ここはないものとしてください。

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