2017-04

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壮大なマッチポンプの果て 自生的秩序、か?

 これは「善意の転載問題」の続きです。

 マッチポンプ 篇


 あるブログシステムのユーザーが、そのブログ社会ではデフォルトとされている転載機能を使ってチェーンメールに類似する行為を行いました。その結果、そのブログシステムが抱えるユーザー層に記事は拡散しました。それを見たそのブログシステムではない環境にいるブロガーが、それは「ネット社会では良くないとされている行為である」と指摘。そこから議論が始まったのです。

 議論は「チェーンメールである・ない」と「システム利用規約上問題ある・ない」と「テキストの内容にかんがみてその行為は問題ある・ない」と、「議論の態度や内容の誠実性に問題がある・ない」など多岐にわたるものでした。

 私の参加動機はひとつで、「件の行為はシステムの規約や法律を楯にした放縦な行為であるから、それを認めればネットの社会において自由がなくなる」という危惧からでした。(<大げさって言えばそのとおりw)

 いろいろ考えさせられる出来事でありましたが、私個人としては中心となった「善意の転載問題」は、ほぼ、チェーンメール類似行為であるから、よくないことだという結論には変わりありません。

 しかし、違った視点から見れば、この問題は「発信者の壮大なマッチポンプ」以上のものではなかったとも理解しています。

 つまり、転載機能(「ポチッとナ」という感じで転載ができてしまう機能)を、あるユーザーが自分では十分法律やガイドラインや文責に配慮(したつもりというレベルかもしれないが、とにかく配慮)し、期限限定などの工夫を凝らし「利用した」。当初は騒ぎにもならずひとつの狭いブログシステム内に存在するコミュニティーに限定された善き行いの感があった(<異論はあるでしょうが)。言ってみれば転載元転載先両者とも当事者からすれば「小さな善意の火」であった。

 それが、外部からそれを見たときに「それは良くない行為だ!」と指摘するものが現れて、火をつけた本人は対応に大わらわとなり、その行為が不適切であるとしてまた反応を呼び、大火事となった。そして発信者の努力(?)もあり、周りに類焼するものが無くなるにつれて鎮火していったということでしょう。

 これは発信者が勝利したわけでもないし、批判者が勝ったわけでもないですね。双方(動機はどうあれ)全力を尽くして問題を扱ったがゆえの、火災です。

 焼け跡に残った「転載した人たち」にとっては多いなる災難であった可能性もあります。これはもうお気の毒としかいいようがない。

 そういう認識にいたるにつれて、下記に記すような考えが固まってきました。

 自生的秩序、か? 篇

 経緯を振り返ると、いかにその「システム」が可燃性を帯びた空気に満たされているかが判ります。ネット上のブログという大きなエリアの中に存在するひとつのシステムは、その中で閉じたサービスでありつつ、同時にブログというメディアを介してつながりあうものであり、その中にあるシステムがブログ全体を巻き込む発火元となりえるようです。

 もうひとつの方向に目を転じてみると、システムはユーザーのためのものか? という疑問が沸きます。前述した「お気の毒なユーザー」は、そのシステムによって「守られたのか?」という疑問。

 ちがいます。ぜんぜん守られていませんし、システムはユーザーの保護を考えていません。ユーザーはシステムの規約により縛られます。これはシステムをユーザーから守るものとしては機能しますが、その反対はありません。一方的な縛りがあるだけです。全く対等ではないのですね。昨今の企業風土を考えると当たり前ですけど。

 一方、ユーザーはシステムを信頼しその規約にのっとっている限り安全であると考えがちです。しかし、初心者ほどそのシステムが持つ「可燃性」には気づきませんし、きらびやかな「メリット」のみを享受できると考えがちです。たとえデメリットに気づいたとしても自分で気をつける以外にないし、それは通常明示されません。身を守るのは自分です。それに気がつくのも自分です。

 今回の議論は、まさにその一方向性を露骨に表したのだろうと考えられます。
 
 さて、ここでシステムの内部対外部という構図を改めて考えて見ましょう。

 内部に関しては上記で考察したとおり、システム側に有利であり、ユーザーの保護は不十分であり、可燃性を帯びた空気(転載機能)を持つ。

 対して外部は古くからの錯誤やトラブルを経て積み上がってきたネット倫理(道徳)を知り、それがなぜできてきたかを知るユーザーが多い、開かれた世界。いわば自生的秩序を持つ世界。

 もう少し単純化すると、内向きの組織倫理と外向きの自生的秩序という、相反する社会ではないかと考えられます。

 この、相反する社会の対立ではなかったかと。

 おまけ 篇

 もう少し考えると、なぜ発信者の弁は強硬でありえたか。

 発信者は(今までのネット議論から推測できる限りにおいて)「組織の代弁者」たる役割を果たしていた。つまり、自覚しているといないとにかかわらず、所属する組織の利益に沿った考えを主張していた。ですから、少しもひるまない。自分が主張することは組織の利益にかなうから、不利益になることは、ない

 そういう構図を考えることが可能ではないかと思うのですよ。

● COMMENT FORM ●

Re: 壮大なマッチポンプの果て 自生的秩序、か?

私もおおむね同感だと思います。
ただ、Yahooブログではこれまでにも
多数の「チェーンメール類似行為」が
批判なく「良いと思われて」行なわれてきた事実があり、
現在進行中のもっと問題性を含む
「チェーンメール類似行為」が今尚転載されております。
今回の私の問題には、このコメントのURL欄にも入力
しましたが、 http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/ised/20050514
この議事録に関連する考察も加えていただければ
より深く思慮出来るかと思います。
>得るところの多い議論
と思っていただければ私も意味があると思います。

Re: 壮大なマッチポンプの果て 自生的秩序、か?

 どうも。ありがたい限りです。

Re: 壮大なマッチポンプの果て 自生的秩序、か?

#有り有り有りでケンカ売るようなトラックバックで議論が始まるとは思えない。
#そこで始まるのはケンカでは無いのか。
by真性引き篭もり
つー文を思い出しましたよ。

Re: 壮大なマッチポンプの果て 自生的秩序、か?

鍵米のかた:よく判ります。でも、鍵米なのでレスできません。すみませぬ。


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