2017-11

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「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

 前回のエントリ 「テオドール転載」について思う を書いてみて思ったこと。

立ち位置

 まず、なぜあのエントリを批判したかという点。事情があり個人の想いで「テオドール」に対して注意を呼びかけるという行動自体は、私のなかで特に問題ではありませんでした。仮にあのエントリが普通のブログで普通に書かれていたことなら、頭の中にいくつかの疑問点が浮かび上がったにせよ、それをもとにエントリを立てる行動はしなかったと思います(たぶん、コメントでいくつかご指摘させていただくにとどめたでしょう)。

 ではなぜ批判エントリを立てたかというと、それが「転載を推奨していた」から。この一点で、行動に出ました。

 しかし、それはかの人物(<OYAJI)が関わっていたからではありません。

批判の私的基準

 転載を推奨した時点で、そのエントリは単なる「個人ブログにおける個人の言説」ではなくなっていると考えたからです。もっと公の性質を帯びるものとなると考えたからです。

 具体的には、「情報ソースが古い」、「根拠が乏しい」、「主張が社会的影響を帯びる」という点で批判するべきものがあった。これが、個人のブログエントリと「おおやけの言説」どちらに近いかという点で、私は「おおやけ」になる、と判断し、その点を閾値として批判という行動に出たということです。

 このような「転載推奨は個が公となる行為であるから、遠慮なく批判する」というのは、私が勝手に作り上げた基準に過ぎません。御批判はいくらでもお受けします。

 しかし、上記のような考え方をしないと、「テオドール転載推奨」への疑義発声が難しいというのもまた事実です。

 個人のご事情があり、その苦しい状況のなかで想いをつづられていることに土足で踏み込むことを抑えようとされる人の気持ちは良くわかります。そして、それにかんがみて批判を控えようという考えも理解できます。

 しかし、その「個人の想い」が「転載を推奨」し、無批判なまま次々と複製されていく過程は、見過ごすことができません。

 なぜなら、その「個人の想い」とそれを背景にして理論立てたエントリの中に何らかの間違いがあれば、その間違いが「転載推奨」により、強力に増幅されると思えるからです。そしてそれは転載が続く限り修正されることなく増幅され続けます。

 これはもはや「個人の言説」とは遠く離れた大きな影響力を持ちうる出来事です。

転載推奨のメッセージ性

 「転載をお願いする」行為は、「必ず」メッセージ性を持ちます。その意図が良い・悪いは関係ありません。純粋に、「メッセージ」として発信されます。

 そのメッセージは、完全に正しいことはありえないでしょう。また、立場が違うだけで、あるメッセージがある人にとっては暴力や凶器となりうるのは、予想できます。

 仮に、いったん転載が始まれば、そのメッセージに含まれる暴力性や過ちは修正しにくくなります。

 この点は、マスメディアの報道被害にも似ています。

 転載推奨は、その「マスメディアの暴力性」に通じる危険が潜んでいると考えます。しかも、その「あやまち」は、マスメディアが慎重に(と思えないところもありますがともかく慎重に)情報を発信する場合と違い、個人が個人として考えて行う分、過誤や偏向が含まれやすくなります。

 つまり、「転載推奨行為」はその発生源から拡散先まで、考えが修正されず、個人の責任範囲をはるかに超えた「過誤」が増幅される必然を含んでいると思えるのです。

 そしてまた、それは「個人」から発せられるがゆえ、「個人」の責任を問われた場合、全責任を負うことが不可能な状況になりえます。

転載推奨はとても厳しい批判にさらされる

 このように考えると、ネットの中で転載推奨行為が連鎖していく可能性により、その言説(発端となった言説)は、きわめて厳しい批判にさらされる可能性が出てきます。

 転載機能を持つブログサービスでは、気に入った記事を転載することが常態となっているようです。そして、あるメッセージを発信したい人が簡単に転載を呼びかけることも可能です。
 一方、ネットに慣れていない人ほど、メッセージを十分練った形で作ることが上手ではなく、簡単に批判にさらされるケースが目立つと考えています。

 この、メッセージの欲望・希望と言説組み立ての未熟さが融合したとき、影響力のある「転載推奨行為」が生まれます。

 そして、メッセージは事前に批判を受けることなく、いわば「未熟児」の状態で拡散して、やがて暴力へといたる可能性が出てきます。

 その影響が大きければ大きいだけ、帰ってくる批判も大きいと覚悟しなくてはなりませんが、ことのはじめにそのような危機感覚が薄いケースが多いようです。

転載推奨行為はやめたほうがいい。

 こうしてみてくると、転載推奨行為は絶対にやめたほうがいい行為です。簡単に行えて賛同者もどんどん現れてなんだかうれしくなる機能かもしれませんが、一旦ことが起こった場合に(いや、起こらなくとも転載推奨行為をするというだけで)厳しい批判にさらされる可能性が高いものです。

 転載推奨行為はコストが低いようで、実はものすごく高くつく行為ではないかと思えます。

 中にはそのサービスシステムを恣意的に自由に扱い、変幻自在の人物もいます。これはまぁ、そのシステムに巣食うだけの人物なので、ここでは慮外とします。

 以上が、今の時点で私の考えるところです。

TBさき ブログより大切なもの-II (当方のエントリ発端となったゆえ)

● COMMENT FORM ●

Re: 「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

こんばんは。先日は拙記事を引用くださりありがとうございました。
おっしゃるとおり、「増幅」する部分は誰にも予想できない拡がりをみせるのではないかとはっきりと感じます。とくに「善意」という言葉が転載記事の中でも全貌をぼかしてしまう呪文になりかねません。

それは転載機能によって誰かに見つけられるまで冬眠しているような感じをうけます。それは発見されていきなり目覚めるというか・・たとえは悪いですがエイリアンの卵のような、一度目覚めさせたらどうなるかわからない危険性を持ったものだと思います。

転載とは少しそれてしまいますが、もしも近日中にフセインが死刑になるのであれば、それは目に見える「連載よりもはっきりとした」暴力的な推奨・連鎖行為として世界中に広がってしまうかもしれません。そのくらいに転載は危険性を常に抱えたものだと、あえて恐ろしいように解釈して触れないようにと決めています。



Re: 「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

 滝川クリスタルさん、いらっしゃいませ。ご活躍はかねがね。

>「善意」という言葉が転載記事の中でも全貌をぼかしてしまう呪文

 そういえると思います。プロパガンダ手法に似た効果を持つものだと思います。これにより「転載する側」の意図が正当化されてしまうかもしれないという点も今後考えるべきでしょうね。

>それは発見されていきなり目覚めるというか・・たとえは悪いですがエイリアンの卵のような、一度目覚めさせたらどうなるかわからない危険性を持ったもの

 ああ、とてもうまいことをおっしゃいますね。いつも滝川クリスタルさんの比喩は面白いと思っているのですが、言いえて妙です。

 私は本稿を立てるにあたって「善意」の「複製」を攻殻機動隊の「ゴーストダビング装置」に見立ててみようと思ったんですが、ちょっとターゲットが狭すぎるかなぁと思って、止めました。

 今後とも何か機会がありましたらよろしく。

Re: 「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

見事に「デメリット」のみについての
危険性にしか視点がありませんね。
その危険性を排除していくための姿勢が
全く垣間見られない、危険性の告知の配慮の努力
を完全に放棄したエントリーに感じました。
転載推奨・転載機能の「メリット面」を
論じるおつもりは皆無なのですよね?

Re: 「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

外野席を指定したのに、なぜここに?

>転載推奨・転載機能の「メリット面」を
>論じるおつもりは皆無なのですよね?

えーと。転載機能のメリット面はほとんど皆無とかんがえていますので、私としては論じる余地はありません。

Re: 「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

こんばんは。TBが上手く到着しなかったようで、こちらの記事を拝読するのが遅れました。

『ブログより大切なもの-II』の長いコメント欄のどこかに書いてありますが、私はテオドールについてほとんど知らない状態であの記事を書いてしまいました。テオフェリンについて、色々な方から情報をいただき、調べるにつれ、危険性と必要性の両面、そして危険性が必ずしも医療の現場に十分浸透していないらしいことも見えてきました。

転載元さんでは、現在、新しい記事をまとめたいと考えていらっしゃるようです。

straymind undergroundサマの記事を読んでいらっしゃるかどうかは存じませんが、当方が某所で書いた
>「このリンク先に最新の情報をおきます」だけ書いていただいて、リンクのタグだけが他ブログに載るのであれば、最新の情報を皆さんに御覧いただく機会になりますが、「いま現在の」情報を転載機能に載せて流した場合、後から修正を希望しても、転載先に行き渡ることは極めて困難です。
はたしかに目を通していただいているはずなので、次の記事ではご留意をいただけたら、と願っております。当方からも積極的に提案をしていきたいと考えております。

Re: 「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

 はじめまして。

>TBが上手く到着しなかったようで、こちらの記事を拝読するのが遅れました。

 おそらくこちらの操作ミスです。かえってご迷惑をおかけしてしまいました。

>危険性が必ずしも医療の現場に十分浸透していないらしいことも見えてきました。

>転載元さんでは、現在、新しい記事をまとめたいと考えていらっしゃるようです。

 多くを語ることはできませんが、非常にデリケートな問題をはらんでいると思われる出来事です。

Re: 「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

トラバ打たせていただきました^^ ご忌憚のないご意見をいただければと存じます。

Re: 「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

 阿檀さん、こんにちは。

 記事を読ませていただきました。私としてはテオフィリンに関する転載の医療面に関してはできるだけ言及を避けたいと思っていました。リアルな面での具体的トラブルに触れるのはまずかろうという判断でした。

 そしてここに至って阿壇さんのエントリ群を読ませていただくにつれ、その懸念はますます大きくなっています。それゆえ、この場所でコメントさせていただきます。

 医療トラブルの大きな要因は医師と患者双方のコミュニケーション不足であるといわれています(すみません、具体的ソースは制約があるため示せません)。

 それが医療の不確実性とあいまったとき、不幸が生まれるのだと思えます。

 阿壇さんがテオフィリン関連の事象を追われるのは意味のあることだと思いますが、その意図というかグランドデザインが不明瞭であるように思えるので、いまのところは言及を控えたいと思っています。

 今後もTB頂いた記事は拝読させていただきます。

Re: 「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

コメントありがとうございます。

G.Rさんのご懸念の内容はよくわかりませんので、どうか狐が遠吠えしていったと思ってくださいませ。


某所にあったテオフィリン非投与児の痙攣が0.36%、投与児の痙攣が0.24%というデータ、別の場所にあった喘息死人口10万あたり5人というデータを、見るにつけ。「万一」の副作用と、目の前の発作を軽減することを、天秤にかけざるを得ない医療現場の苦悩を、なんとか、想像だけでもするべきだろうと、まだもがいている段階です。

子供が幼いということは、連れて来る母親は若い女性であることが多いのですよね。その相手に向かって、副作用の説明をしてなお、薬を飲ませてもらえるだろうかと疑ってしまう医師の心情とか、発熱時の対応を事前に説明すべきとしている薬の添付文書を知って担当医の誠実を疑ってしまう母親側の心情とか。

いろいろなことを考えながらも、無知が知よりもマシだとは、どうしても思えないのです。

テオフィリンの副作用の被害にあった方がサイトを作れば、どうしても危険性に傾いたものになるでしょう。

メーカーがサイトを作れば、有用性に傾いたものになりがちだし、そもそもこういう問題で、メーカーがサイトを作っても、ユーザーは信頼しきれないでしょう。

その間で、何かできることはないかなぁ。と、思ってしまうのですね。

2時間待ちの診察の現場で、お医者さまに説明しきる時間がないことを、お母様方に伝えること、
さらにできることなら、お母様方がお医者さまに説明しきれないときに、「ここを見て」と言っていただけるようなもの。。。

まぁ、なかなか、難しいことは判っているんですが。まだちょっと諦めきれないので、もう少し足掻いてみようかと。

Re: 「テオドール転載」 こちらがわの後日譚

 阿壇さん、こんばんわ。

 当方のあいまいな書き方でご迷惑をおかけし、申し訳ありません。

>無知が知よりもマシだとは、どうしても思えないのです。

 一般論として考えれば、仰るとおりだと思います。それが具体的ケースとなると、そう一筋縄ではいかないのかもしれないというのが私の懸念です(考えすぎなのかもしれませんが)。

 発端となった転載元エントリに関して言えば、「真実」がどうであるかは、いまのところ「誰にもわからない」と思います。ですから、その「真実」の追究に当たって道を閉ざすような行為は私たちがかかわることじゃない。もちろん逆にそれを煽る行為もしてはならないでしょう。

 私は、(非常に書きにくいことですが、敢えて書くとすると)転載により真実追求の無責任な煽りが激しくなることもまずいが逆に批判により追及の道が閉ざされることもまずいと考え、それに沿って発言しました。批判動機を「善意の転載」に絞ったことを強調したのもそのためです。

 阿壇さんのブログであの作者に対して非常に批判的なコメントをされていた方のことも読んでいます。しかし、あの批判は(表現方法はどうあれ)ありうるなぁという思いで読んでいました。

 そして、阿壇さんが発信元エントリに関して煽っておられるのか批判しておられるのか(そのどちらよりなのか)がわかりかねていたというのが正直なところです。

>その間で、何かできることはないかなぁ。と、思ってしまうのですね。

 私のほうに行き過ぎたかもしれない表現があり、申し訳ありませんでした。このお考えには賛同いたします。

 今回ご説明いただいたようなお考えそのものに私がどうこういう立場にないのは承知の上で、ご参考となるかどうか心もとないですが、思うところを書きます。

 医師と患者の間にある圧倒的な情報格差は、患者が医師にならない限り(いや、医師であっても専門が違うだけで)簡単には埋まらないと思います。その橋渡しとなる中立的で正しく、判りやすい情報サイトを作られるというのは意義のあることだと思えます。

 その情報を元に患者が医師に相談をするのが、情報格差を埋めるのには有用だと思います。

 しかし、最終的にはやはり「医師の判断」が決定的となります。

 私は、その点で医師の患者への接遇態度がほとんどすべてを握っていると思います。

 関連として、だいぶ以前に当ブログにエントリした記事URLを貼っておきます(あまりまじめな表現で書いていませんのでその点はご容赦ください)。

http://straymind.blog66.fc2.com/blog-entry-19.html
(アウトカム~プロフェッショナルの態度~そこに対話はあるのかい?)

 テオフィリン関係の阿壇さんの試みは非常に意義があると思えます。それが医療関係者の多くを巻き込むことができ、幼い子供を抱える親御さん方にとっての有用なサイトとなることを願わずにはおられません。


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