2017-05

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善意の原点と批判の方法

 いまさらの話題ですが、自分の中で一度は原点回帰したほうがいいと思い、エントリしました。

 アンサイクロペディアで「善意」というキーワードで検索をかけたところ該当項目が存在せず、ページ内本文と一致抽出結果でいろいろ出てきました。そこから最も関連性のあると思われる項目がこれ。

大きなお世話
大きなお世話(おおきなおせわ)とは、本人は善意で行ったのに周囲からは迷惑がられる行為のことである。小さな親切と一緒に使われることが多い。


 そう。批判する側もされる側も(する側は特に)忘れちゃいけない警告でしょう。(この引用元はクソ記事でも

 自分が大きなお世話をしているんじゃないかという怯えのようなものは常にあるし、だれも肯定してくれないかもという予感もつねにあるわけです。それでも批判するとして。

 じゃぁ何で批判するのか?

 これに対する答えはおそらくこういうことだと思います。

 まずは批判の基礎。

 社会はそれ自体が標榜している原則を実際に体現すべきだという規範は、ユートピア的です。というのも、道義的な原則というものは、ものごとの現実的な、そして今後も変わらぬありようと矛盾するからです。ものごとの現実的な、そして今後も変わらぬありようは、すべて悪であるとか、すべて善であるとかいうものではなく、どちらにも統一されない不完全、不整合、中途半端なものです。道義的な事柄をめぐって私たちが生きている培地は、矛盾のぬかるみのようなものですが、私たちはもろもろの原則に突き動かされてそれを何とかしようとするのです。原則に従えば、自分の行動を整理しよう、そして、道義的な放縦、妥協、臆病さ、さらには、気がかりな事柄から目を背けるのはやめよう、という気持ちになります。
(スーザン・ソンタグ 「良心の領界」 NTT出版 P163-164)



 なるほど、これが批判の原点になるわけです。この、いわば心情の土台の上に立って何事かを批判するのでしょうが、ものごとは(ソンタグが言うように)そう単純ではないとすれば、その批判に「正統性」(<便宜上こういう言葉を使います)を付与するのは何かということです。批判者はこの「正統性」をもって批判の矛先を定め、研ぎ澄まさなければなりますまい。

(実はソンタグはこのすぐあとで「反原則の立場」について重要なことを言っていると思うのですが、この段落の趣旨とは少し離れるのであとで引用します)

 ここで批判を抵抗と読み替えて、少し読み進んだところの引用を続けます。

抵抗もそれ自体では価値がありません。抵抗の真価、その道義的な必然性を決めるのは、その抵抗の中身です。(引用者注:下線は原文では傍点)

 中略

抵抗に本来的に優性な要素は何もありません。抵抗が正当なものか否かは、正義の名のもとに行動しているという、当の抵抗者たちの主張が正しいか否か、その前提をもって初めて成立するのです。ある主張が正当であるかどうか。それは、たとえ主張者が徳のある人だからといって、それだけで確証されるわけでも増強されるわけでもありません。ある事態が正真正銘、不正であり、必然的でない、とする場合、その見解にどれだけ真実が含まれているか、――― 主張の正当性は、徹頭徹尾、それによって決まってくるのです。
(同 P166)


 心情的に批判しても始まらないと。あくまでも冷静・冷徹に真実を見つけろと。そうしなければ批判は意味をなさないということです。

 昨今の転載批判で私は面白がって「チェーン行為撲滅原理主義者」を採用しましたが、なぜ「面白い」かというと、そういう立場の人を見るにつけ、こういった「正統性」を見つけるべくあらゆる努力をしているということがわかるからです。

 権利とか心情とか仕様とかそれに付随する行動規範をくねくねといじりまわして批判する・されるのではないところで、批判者はじわじわと問題を探り見つけ出し、それを提示するのですね。「さあ、これが真実だ」と提示するわけです。

 一方、そうではなく、現状の中で「できることをやる」という立場の人もいます。

 最初の引用文に続き、ソンタグが述べています。

ところが、その気にかかること、というのが問題です。つまり、自分の行為は正しくないと囁きかけながらも、だからこそそんなことで悩まないほうが得策だと忠告してくる、あの密やかな煩悶。
 反原則派の叫び―――「私はできるかぎりのことをしている」。もちろん、現状の中での「できるかぎりのこと」にすぎません。(引用者注:下線は原文では傍点)同 P164


 このように対比すれば、根本からの批判者(転載批判原理主義者)と現状の中で「できる限りのことをする」者との立場の相違が鮮明に見えてきます。

 そして、このような「(できるかぎりのことをすると叫ぶ)現状改革者」(<これも便宜上こう呼びます)にもさらにいくつかの型があるのですが、共通するのは根本からの批判者との原理的な確執です。根本からの批判者は現状改革者の足元をざくざく掘っているのですから、どのような点であれ確執が起こるのは必然的でしょう。

 冒頭の話(大きなお世話)に戻って、批判行為は「大きなお世話」である可能性が常に付きまとうとして、ソンタグの視線で批判するものにとっては、実はそれはどうでもいいことなのかもしれません。なぜなら批判者の興味は「真実はどこにあるのか」ですから、その掘り返した穴で上の建物が傾こうが人が穴に落ちようが、知ったことではないからです。

 いや、実は知っているんでしょうけど、どうにもできないのかな、と思えます。

 だから、間違った穴の掘り方をしてはいけない。このくらいの「良心」は批判者に必要でしょう。そうでないと「大きなお世話」ではなく「大いなる迷惑」になりかねません。

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