2017-09

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伝統のイデオロギー性 思想の対比

 これは青龍さまへのお返事です。

 まず、大変長い間お返事ができなかったことをお詫び申し上げます。しかしその間にも興味深いことがいくつかあり、いろいろと考えてはおりました。

 さて、本論ですが。

青龍の雑文Blog はてな別館 「伝統」のイデオロギー性3より引用

 そして、「伝統」はその時々で、社会の変化や価値観の変化に応じて、改変されていくものであり、その改変の際には「伝統」が有するイデオロギーと改変を要求するイデオロギーを比較・選択することになるのです。この点は、保守思想の内部での改革と、異なるイデオロギーに基づく改革で変わりないのです。しかるに、G.R.さんからすると、両者は異質なものと評価され、前者は肯定的に評価されるのに対して後者は否定的に評価されるのです。


 青龍さまのお考えでは、あるイデオロギーが「伝統」をどう扱うか、という視点が見えてきません。
 具体的に言いますと、保守主義的視点は「伝統」(いちおうこういう呼び方で続けますが、あとで整理します)を保守し、劇的な改変をなるべくしないように考えると思います。
 一方改革を考えるイデオロギーでは、そういった「伝統」を非合理的なものとみなし、自らのイデオロギーが拠って立つ所の理性を用いて社会を運営しようと考えます。この点でこのイデオロギーは「伝統」を否定します。

 ここで、「伝統」という言葉の確認ですが、私は、その社会が過去から営々と築き上げてきた社会の中で自然発生的に形成されてきた、社会を維持する知恵という意味で用います。これがバークの言う「法の支配」であり、「コモン・ロー」ということになろうかと思います。また、チェスタトンが言うところの「墓石にも投票権がある」ということでしょう。(この点でチェスタトンの言い回しは独特なので、多くの説明が必要かもしれませんが、今は示すにとどめます)


歴史を紐解いてみれば解りますが、士農工商のような階級制も、四民平等も到底自然発生的なものではなく、その時々の政治権力がその目的達成のために定めたものにすぎません。江戸幕府も明治政府も過去の統治機構を武力で倒すことによって成立したものです。国旗国歌についても、そもそもそんなものは明治以前の日本には存在していませんし、国旗を掲揚し国歌を歌うことが国民統合のの手段となり得るという考え方も、国民国家成立以前には存在していないのです。

 以上の例を見れば、これらが自然発生的なものであるというのは間違いであることははっきりしています。どれも、その時々の政治権力がその目的を達成するためにあなたの言う「浅薄な人間の理性・知性」により作り変え・または作り出したものなのです。

 もちろん、社会に存在する価値観の中には自然発生的に形成されていったものが存在すること自体は否定しません。しかし、あなたの言う保守思想は人為的なものまでしかも選択的に「伝統」の中に放り込んでいる点で問題があると思います。


 士農工商も明治維新も歴史的ダイナミズムの「中」のことであり、保守主義イデオロギーも革命主義(社会主義)政治イデオロギーもそのことどもを「扱う」立場になると思います。

 具体的に言えば国旗国歌の成立も、明治政府が外国と比肩する為に国家としての日本に必要であるとして定めたものであり、考え方としてみればそれ以上のものでも以下でも有りません。ただ、それをイデオロギーとして扱う勢力があるというだけです。また、現在の日本国民の「多く」はそういう政治イデオロギーに与せず、自らの国の「象徴」として現在の国旗国歌を認めているという意味で、イデオロギー性は殆どないか、薄いと思います。

 ただし、その象徴としての国旗国歌でさえ否定するある範囲のイデオロギーへの「カウンター」として何がしかの行動をしなくてはならないという現状があるのではないでしょうか。

 繰り返して確認しますが、私の立場としては、国の伝統や象徴は、基本的にイデオロギー性は薄いと考えております。

 フランス革命で行われたことはアンシャン・レジームの破壊であったと思いますが、それは同時にその当時隆盛していた啓蒙主義に基づき、「理性により社会を創造し統治する」という理性主義が発生した契機でもあったと思えます。

 人の理性がその世代において社会を構築するという理性至上主義(中川八洋氏は理神教と呼んでいますが)が社会主義を胚胎させ、やがてソビエト連邦などの社会主義国家が形成されましたが、それらはすべて計画経済の名のもとに、理性により社会を維持しようとしました。これが大きな間違いであったということは歴史が証明したのではないかと思います。保守主義はその理性主義を否定する思想として生まれたという面があると思います。

 さて、ここでひとつ判らないので改めてお伺いしたいのですが、青龍さまはなぜ国旗国歌の「押し付け」という表現をなさるのでしょう。青龍さまの立場からのお考えが、いまひとつはっきりとわかりません。こちらの理解力不足という点もあるかと思うのですが、ぜひ根本的なお考えをお示しいただきたいと思います。

 なかなか難しいお話が続き、こちらも悪戦苦闘してエントリしております。自身の勉強不足の感は否めませんし、内容の不備な点お笑いになられているかとも思いますが、どうかご容赦を。

 

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