2017-09

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口承文芸としての転載機能の一考察

 私がここFC2でコメント欄を設けている理由は、批判的な記事を書くことが多いので、その突っ込み可能性を担保するために恐る恐るコメントを受け付けている、というもの。実際そういう突っ込みはあるし、それがまた有意義に機能するという点は確認している。

 一方、そうではないコメント機能もあるわけで、よく引き合いに出されるのがY!の短いコメント欄。字数制限があるのでまとまったコメントをするにはかなり不便な仕様だというのはおそらく周知のことだと思う。

 この違いを文化的な面でとやかく言うのはお門違いだと思うが、あるシステムの仕様として考えれば、Y!はその機能で顧客を選別しようとしているというのは考えられる。えっけん氏が擬似SNSと指摘したのも頷ける(ソースはどこだったかな。すみません、思い出せません)。

 さて、この違いはおそらくブログ主間の相互交流をどう設定していくかという開発ポリシーの相違であると思える。FC2はクラシカルなブログという設定であるのに対し、Y!は相互交流を促す目的という違いか。

 事実、人気度やファン機能など、相互交流の程度が目に見えてわかるバロメーターが設置され、アバターなど個人の(仮想であれ)属性が瞬時に認識できる装置もあり、それらは比較的安心して行えるユーザー間の相互交流という目的から見ればきわめて合理的と思える。相手の性別などを伺わないで会話ができる。この点は阿檀氏の議論が参考になる。

 上記のような点からすれば、Y!ブログは会員間の交流においてなるべく余分なコストを取らないように工夫されていると考えられる。これをY!の低コスト高交流ポリシーと呼ぼう。
 
 さて、そういう観点から見てよくわかんないのが転載機能であると思える。転載機能自体は、Y!の低コスト高交流ポリシーからすれば十分合目的な機能と思える。転載によりその記事の内容に同意を示し、報告コメントおよびお礼コメントを繰り返すことで相互交流が生まれる可能性はある。

 この点で、実は相互リンクやTBなどよりももしかしたら効率がいいと考えてよいのかもしれない。

 これは情報伝達コストの問題といえそうだ。もしかしたら口承文芸と筆記文芸のコストに関する考察が参考になるかもしれない。

 もともと口承文芸(昔話など)は文字が使われる以前からあった物語伝承形態で、文字の使用および印刷技術の発達により筆記文芸に取って代わられたという認識が一般的にある。

 しかし、実は筆記文芸(ブログなども含む)は、実は高コストなものであり、口承文芸は(そのほとんどがある類型を持ち構造も比較的単純であることから)筆記文芸より伝播しやすく聞いてすぐに語れるという点で低コストな文芸であるという指摘がある(関敬吾「民話」岩波書店1955 など)。

 これは実にそのとおりで、ブログにおいてもひとつのエントリをあげる作業は「語り」で伝えるのに比べて圧倒的に作業量が多い。

 ここで、「語り」という用語を使ったが、転載機能はこの口承文芸もしくは他者の「語り」を極めて低コストで伝播できる機能であると考えてよいと思う。形態は筆記文芸だが、それを読み、それをそのまま他者に伝えるという点では口承文芸にきわめて近い形態といえないだろうか。

 つまり、転載機能は、物語(エントリ)を口伝えで他者に広めるという機能を持っている。開発者はそのようなことなど思いもしなかったかもしれないが。

 こう考えると、いくつかの点で問題があると改めて指摘できる。

 ひとつは、著作権問題。私は著作権関連に詳しくはないのだが、一般的に、ブログにおいては著作物はその作者にすべての権利が帰する。それを他者(他のブログ主が想定するそのブログの読者)に伝える場合、筆記文化であれば、その著作権を考えざるを得ない。そのためリンクとか引用などの範囲内でその行為を行う。しかし、転載機能=口承文化と考えれば、(書いてあるものかどうかは問題とせず)その「内容」を「低コスト」で他者に「示す」(=自分の物語ではなく、他者の物語としてでもなく、普遍的に存在する昔話的に、一般の物語として「語る」)ということが可能となる。

 こう考えれば、著作権問題は原理的にその行為と不具合を起す。

 もともと昔話に著作権が無いように、口承イメージで伝承される記事は、著作権を想定していないとして扱われても不思議ではない。

 また、以前にも考察したところだが、口承は伝え聞きであり、その言説(というか記事内容)に対する責任性をなかなか持ち得ない。その拡大がたとえ流言飛語になろうとも、伝承者一人ひとりは表に出てきにくい。

 これらのことを考えると、転載機能というのは筆記文芸とは根本的に相容れない性質のものであると考えることができる。

 ブログが筆記文芸の範疇である限り、転載機能はその立場と永久的に背反する性質を有するだろう。

 そうすれば、Y!ユーザーはY!の低コスト高交流ポリシーに反して何がしかの高いコストを支払わなければならないリスクを常に背負うことになりはしないか。

・・・

 ということで、転載機能議論に幾ばくかでも資すれば。

 あと、長々と書いてしまいましたが、どっかで激しく既出だったらごめんなさいね。(^^;

● COMMENT FORM ●

Re: 口承文芸としての転載機能の一考察

>どっかで激しく既出だったらごめんなさいね。(^^;
 この切り口での取り上げ方はあまりなかったように記憶しています(”「口コミ」による情報伝播との比較”という切り口は数点ありました。たとえば:http://deztec.jp/design/06/12/04_chain_style.html)。御伽噺、伝説の口伝・・・語り部や琵琶法師達の世界をITという技術で実現、という発想は面白いかもしれません。

Re: 口承文芸としての転載機能の一考察

情報どうも。私も以前読みました。同意できるところもある。ただ、私のイメージでは口コミとも少し違う。口コミ・アジびらは転載機能でない媒体でも可能だが、ここまでローコストかつ有価値な情報伝達はちょっとほかにない。ほかの喩えで行けばY!の転載可能エントリはそのコミュニティ内でのみ通用する通貨かも。転載で相互交流の貨幣として扱えるが、その他の手段(改変など)は偽造のような違反となる。もちろん外部からの使用は不可ってところか。
琵琶法師云々は趣旨が違うのでスルー。(面白そうな話だけどね)

Re: 口承文芸としての転載機能の一考察

TBありがとうございました。

こちらを拝読しつつ、なぜか頭の中に浮かんでしまったのは、派手やかな衣装をまとった踊りの周囲を、半裸の男たちが何重にも取り巻くインドネシアの舞踏「ケチャ」でした^^;<琵琶法師以上に趣旨が離れているw
(↓「踊り」ではなく「火」が中心になっているYouTubeを見つけました、音でますw)
http://www.youtube.com/watch?v=NmNfbK2Ckjo

これは、私がもっている“転載チェーンテキスト”のイメージ……、作成者がメイン、「転載による参加者」は従、「転載ネットワーク」全体である種の“迫力”を醸し出す……に近い、、、のであって。一般的な実態に近いわけではありません(汗)


口承文芸は、「物語を憶えて/語る」部分に、かなり高度なスキルが必要とされるのにくらべ、転載はあまりに「お手軽」な気がします。

お手軽、といえば、「短いコメント欄」も、お手軽なのですが。こんなもの↓を書いてみました^^
http://blogs.yahoo.co.jp/adankadan/3512977.html

Re: 口承文芸としての転載機能の一考察

>口承文芸は、「物語を憶えて/語る」部分に、かなり高度なスキルが必要とされる

 さすが。そのとおりですね。実際に「限られた、その能力を持つ伝承者」が必要になります。

「ケチャ」ねぇ。(^^; 毎度のことながら意表を突かれる。しかし、イメージは伝わりますよ。

 エントリのリンクどうもです。拝見のうえコメント入れました。かなり考える要素が多いので、もしかしたらエントリ立ててTBするかもしれません(まとまらなかったらしないかも)。


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