2017-04

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

始まりもせぬ旅

なんで父親殺しをしたんだと。で、どの面下げて故郷へ帰るんだと小一時間。(挨拶)

クモの最後は、やっつけられた上にさらに追い打ちをかけて徹底的に貶められ、そのうえスバらしい竜が出てきてとどめをさされた。ああそうですか。良かったですね。世界は救われるんですね。そんなにあいつは悪い奴だったんですね。

幸か不幸か時間があったので、世にも珍しい(あの原作者が乾いた口調で批判的感想を述べたんだからすごい)映画を見てしまった。時間の無駄だったと感じたが、いや、これはこれで意味があったのかも知れないと思い直す。「不味いものをさんざん食べないと、美味いものが分からないのだ」という言葉を知っていて良かったと思う。

ボーイ・ミーツ・ガール。呪宝の守護者。大賢人。正邪善悪の戦い。主人公に対する試練と成長、均衡の破壊と調和。この世の成り立ち。呪物。そして成就。少年は美しい女性を得て、帰還する。

まぁ、ディズニーの量産体制下積み原作脚本選考では必ず通るフィルタリングプロットのオンパレードであった。ネタ本は流通してるし、監督がこれらのノウハウを「知っててやった」のならどうしようもないし、知らないで組み立てたのなら、まぁ別々の原作と原案(それだけで何じゃそれという気がするが)をまぜて素人が思いつくプロットを周りが良く盛り立てましたねというところだろう。

原作者が避けたかったことの一つにして最大の問題は、原作を「ディズニー的」なものとして通り一遍のファンタジーとして貰いたくなかったということだろう。逆に言えば、それは宮崎駿のオファーを2度も蹴り、その後宮崎アニメを見直して、宮崎駿の作品として映画化するというときに、ル=グィンが最も期待したことだったのではないかと思う。

しかし、息子は(そして父も)見事にその期待を裏切った。それは、映画としての巧拙ではなく(例えば断片的な描写とか、必然性のない組み立てだとか、そういうこともあるとは思うが)、もっと原則的なこと、ゲド戦記において作者が込めたかったであろう世界観を、ものの見事に裏切り、「ディズニー的」な作品としてしまったことへの失望感だったのではないかと思う。

例えていうなら、「イシ」において影響された西洋文明の暴力と破壊的普遍性という状況への批判という意味で醸し出された作者の思想そのもの(これは「真の名」という概念に現れている)を咀嚼し理解することなく、表層的な道徳と善悪対立そして通俗的なロマンスに変えてしまった監督への失望感だろう。

だから、翻案や独自解釈として原作者の「意を汲み取らなかったから」残念である、というレベルではなく、その表現する世界観が全く相容れないのだ、という意味での、原作者の本作品への否定(「これは五郎吾朗の作品である」という、評価としての完全無視)に至ったのだろう。

参考:ゲド戦記(映画)

● COMMENT FORM ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://straymind.blog66.fc2.com/tb.php/88-2e20f359
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

straymind

Author:straymind

エントリ

カテゴリ

コメント

全記事表示

全ての記事を表示する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。